「幸せな時間」


この島に来てお気に入りになったレストランを訪れた。
このレストランは島のメインビーチの北端にある。
にぎやかな場所から少し離れ、人はまばらで利用客は少ない。
ボクは何度もこのレストランの前を通っていたが、なんとなく気になりながらも通り過ぎるだけだった。
けれど、すこし勇気をだして入ってみたのだ。
レストランには木々に囲まれた少し高台のテラスがあった。
なんだかそのテラスが呼んでいるような気がして、ボクはその場所に落ち着いた。

そこは素晴らしい場所だった。
木々の間からは砂浜と波のさざめきが見える。
木漏れ日がキラキラと輝きとても美しい。
砂浜では強く吹いていた風が、ここではさわやかに吹き抜ける。
なんと贅沢な時間だろう。
あまりにも木漏れ日が美しいので、ボクは光を直接見たくなって眼鏡をはずした。
すると景色は奥行きを失って、まるで動く絵画のようになった。
色彩だけが目の前に広がる。
丸いぼんやりとした無数の光、美しい緑の向こうには透き通る黄緑、黄金のきらめきと濃い緑のコントラスト、そして空の青。
もしかすると、サンミゲルを呑んでいたからこの絵画がさらに美しく感じたのかもしれない。
ボクはしばらく絵画の中の世界に浸った。
そして、目を閉じてこの絵画と出会えたことに感謝した。

さっきまで、ボクはどこか悲しい気持ちを抱えていたように思う。
砂浜で遊ぶカップル、家族たち。
話し相手がいないのはやはりさみしい。
孤独の世界での話し相手は一人だけだ。
それはわたしという名の不可解な存在。
いちばんの仲間だが、つきあい方を間違えるととんでもない方向に連れて行かれる。
後で考えるとそのとんでもないと思っていた方向こそ実は望んでいたことだったことに気づくのだが。
わたしは決して裏切らない。

そうだ、思い出した。
ボクがこの島に来たのはわたしと向き合うためだった。
ボクの場合、わたしと向き合っている時はとても繊細な気持ちになりやすいことに気づいた。
だからとてもささいなことの中に美しさを見ることが多い。
すこしのさみしさはまだ感じている。
けれど大きく満たされていることも同時に感じていた。

ボクはすこし動きたくなって、この島に来てからはじめて海に全身でつかろうと思った。
レストランのスタッフはとても気遣いのある素晴らしい人たちだったので、荷物を預けてテラスから見える砂浜に降りて行った。
美しかった絵画の中で今度は遊ぶのだ。そう思うととても幸せな気持ちになった。

遠浅の海、どこまで足がつくだろうとどんどん進んでいった。かなり進んでもまだまだ足がつく。肩くらいまで海につかる場所で、まわりを見渡してみた。
砂浜が遠くに見える、そして水平線が目線と同じ位置にあった。

立っていると波が足もとから砂をさらっていく。
時々、すこし大きな波がボクを流してしまう。
なかなか上手く立っていられないので泳ぐことにした。
ボクは泳ぎが得意じゃないし、眼鏡を外せないので顔をだしたまま平泳ぎをする。進もうとするのだけれど、波の力に流されてとても泳いでいるようには思えない。
それでもがんばって泳いでみたが、波が顔を直撃して、口の中に塩の味が広がった。
ボクは自分の非力さに気づいて思わず笑ってしまった。
進もう進もうと考えるのはあきらめ、波を上手くさけながらその力を利用することにした。といってもよく考えたらどっちに進むのか決めていなかった。
とりあえず陸の方に向かう。波がぐっと体を押してくれる。
波が引く時にはすこし力を入れてその場にとどまる。また波が体を押してくれる。
何度か繰り返すうちに気がついたら膝が砂につく場所まできていた。

波打ち際でボクは空に向かって大の字になってみた。
地球の先端にはりついて宙と向き合っているように感じる。
宙から見るとあまりに小さな存在。
けれど地球とぴったりくっついているので自分が地球の一部のように感じる。
砂がさらわれ、ボクはすこしずつ地球に埋もれていった。


ボクはそれから、砂遊びで砂の不思議な性質の実験をしたり、波を漂う漂流物をつかまえたてその裏にいたカニに驚いたり、無邪気に心ゆくまで遊んだ。

海水がある程度乾いてから荷物をとりにレストランに戻った。
飲み物を頼んだらスタッフがいつも来てくれるから感謝の印と言っておかわりをプレゼントしてくれた。
ボクはとてもうれしくて思わず手をあわせてお礼を言っていた。

なんて幸せな時間だろう。

ボクはこの景色をいつでも頭の中で再現できるようにしっかりと目に焼き付けた。

島をあとにする日、スタッフが「また明日待ってるよ。」と声をかけてくれた。
ボクは「残念だけど今日が最後なんだ。」と言った。
「またいつか会えるのを楽しみにしてるよ。」彼はそう言ってくれた。
「いつかきっと。」
ボクらは笑顔でわかれた。


目を閉じてあの光景を思い浮かべる。
波が白い無数の線を描きながら進んでいる。
風が流れて潮の香りを運ぶ。
風をとらえてカイトボーディングを楽しむ人々。

幸せな時間をありがとう。
 



 

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