「涙」


 ボクは中学生の時、突然顔の左側が動かなくなった。

 今でもはっきりと覚えている。夕ごはんを食べながらテレビを見ていると、突然左側の舌のごはんの味がなくなってしまった。同時に、何かが途切れるような気がした後、左側の顔が動かなくなってしまったのだ。
 ボクは何が起きているのかわからずに泣きだした。これからどうなるのだろうと不安にかられ、その夜はなかなか寝付けなかった。死ぬかもしれないとまで考えた。ぐるぐると怖いイメージがかけめぐった後、「明日になったら何事もなかったように治っているかもしれない。」夢うつつの状態でそう願いながら眠りに入ったことを思い出す。

 次の朝、現実は変わってはいなかった。「やっぱりそうか。」どこかでそう思った記憶がある。ボクは現実を受け入れるしかなかった。母に連れられ、病院へ行った。原因は不明。もしからしたらウィルスの可能性もあるということで、入院することになってしまった。隔離された病室で、その日から多くの検査を受けることになった。
 実はボクの家から病院はほんの数メートルのところにあった。その町では大きめの病院で、ボクにとってそこはちょっと怖いイメージがあった。薬品の臭い、待合室の長い時間、緑色の廊下、おじいさんおばあさんがたくさんいて、静かにしていないといけない場所。なんだか苦手で、普段病院の中へ入ることはあまりなかったけれど、駐車場はお店屋さんへの通り道としてよく使ったし、時々遊んだりもした。ボクが入院していた時、どの部屋にいたのかよく思い出せないのだが、今から考えると家から100メートルも離れていなかったのではないかと思う。その時は独りだし、とても遠い場所に来てしまったように感じていた。

 入院してしばらくして、ボクは徐々に落ち着きをとりもどした。毎日見舞いに来てくれる両親の優しさがとてもうれしかったし、学校へ行かない日が続くこともすこし特別な身分になったような気がしていた。家族とはじめて離れて過ごす日々、不安と緊張はあったけれど、意外とその生活にすぐ慣れた。会うのはお医者さん、看護婦さん、そして家族だけ。いつもけんかばかりしていた兄もとても優しかったし、周りの目を気にすることもなかったので安心した。動かない左の顔を除けば、体はいたって健康だった。頭の片隅では自分の顔についての不安は常にあったようにも思うのだが、のんびりと過ごす日々がすこし退屈になってきて、はやく大好きなバスケットボールをしたかった。案外お気楽な入院生活だったようにも思う。病室にはテレビがなかったので、ボクはラジオを聞いて過ごした。夜に聞くラジオ深夜便がとても好きで、アナウンサーの低くて柔らかい声と、語られる内容に聞き入ったことを覚えている。

 そんな日々は過ぎ、だんだんと退屈な時間が永遠にボクのまわりをぐるぐる回っているように思われた。早く自由に動き回りたい。強くそう感じはじめていた。けれど、時間が経っても相変わらず左の顔は動かなかったし、その原因もわからないままだった。よくなることはないのだろう。そんなあきらめの気持ちがあったので、未来のことを考えずにすむ病院の生活は退屈ながらも手放したくないとどこかで思っていた。けれど、検査も終わり、リハビリがはじまった。いつまでも入院しているわけにはいかない。ボクは徐々に迫るもとの日常に備えなければならなかった。友達はなんて思うだろうか。
 暖かいこの場所からの離別。退屈なこの場所からの脱出。はやく体を動かしたいという想いと、守られたこの場所を離れる不安の気持ちが入り交じっていた。

 時間はやってきて、ボクは退院した。そしてもとの生活が戻ってきた。結局、ボクは周りの声をそれほど気にすることはなかった。自分でもどうしようもないのだから、と開き直っていたのかもしれない。周りの視線が気になっていたからこそそう思うようにしていたのかもしれない。思い出すと、バスケットの練習に復帰した時、先生が向こうで「あいつあんなんで復帰して大丈夫か。」と話ししている声が聞こえた。なぜかその場面が先生からの目線で思い出されるのが不思議なのだが、ボクがバスケットのゴールに向かってシュートの練習をしている後ろ姿が、先生の声とともに思い出される。他の記憶は思い出せないが、もしかしたら気にしないように記憶を消しているかもしれない。かといってマイナスなこととして抑圧しているようにも感じない、単に思い出せないだけかもしれない。多感なあの時期、異性の目も気になる年頃だったと思うのだが、ボクはともかく日常に慣れていき、自分の好きなことが出来ていることに幸せを感じていたように思う。

 左の顔はその後、すこしずつ動くようになった。動かなくなった当初は右と左の顔が別の存在のようだったが、徐々に左側も連動して動いてくれるようになった。けれど、5割くらいの動き方だろうか。今でも動かない部分がたくさんあるし、完全な状態からはほど遠いと思う。ただ、慣れていって、そういうものとしてなじんでいる。変な目で見られることはないし、自分でも気にすることはほとんどない。あれ以来、左側の顔を動かす時、左耳の奥でゴゴゴという音が聞こえるのだが、たぶん神経がすこし変なつながり方をしているのだろう。意識するとゴゴゴが聞こえるのだが、慣れてしまってそれほど気にはならない。

 たぶん、ボクにとってはこのことが自分の人格形成に与えた影響はそれなりに大きいように思う。どれくらいかはわからない、それ自体がボクの一部なのだから。

 実はこのことで今でも頻繁に生活の中で起こることがある。ボクはある時からそのことをありがたいと思うようになったし、とても特別なことだと自分では思っている。
 毎回ではないのだが、何かを食べている時、ボクの左目から自然に涙がこぼれるようになったのだ。ゴゴゴと関係しているかもしれない、ものを食べる時ボクの涙腺が刺激されるのだろう。コントロールはできないので、いつ涙がこぼれるのかはわからない。気がつくと左のほほを涙が伝っていることがある。いつからか、ボクはその涙をサインだと思うようになっていた。
 なにげない時にも、忙しくて気持ちが焦っている時にも左目からは涙がこぼれる。淡白に言ってしまうと、ただの生理現象なのだろう。けれど、涙に気づいた時、ボクはそのサインの意味を思いだす。

 いつだったか、左目から涙が流れているのも気づかぬうちに涙が口に入っていたことがあった。ボクはその時はっと気づかされたのだ、これは海だと。ちっぽけなボクの川は大きな海につながる流れなのだと。だから、食べることへの感謝のサイン。大きなものとつながっているサイン。涙をそうとらえるようになった。

 だからボクの左目の涙はボクにとってとても大切なものになった。


 最近、ボクはちょっとしたことでもすぐ涙が流れるようになってきた。涙もろくなったのだろうか、よく考えたらこの涙もコントロールが出来ているわけではない。涙は大きなものへとつながるための一筋の川なのだろう。ふつうは二筋の川なのだが。

 ほろりとほほをつたう涙は美しい。流れる先は口元だ。大きな海を思い出させるために。
 

 
 

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