今日のテーマは、「祈り」です。
いくつも訪れたゾン、ラカン。
そして、峠を超えるたびに見られる5色の旗。
ブータンでは信仰が生きています。
残念ながら、ゾンやラカンの中は写真撮影ができませんので、今回は文章と写真はあまり関係ありません。
撮影できないところがある。これはこれですごくいいと思います。白日のもとにさらすもの、そうでないもの。世界が全部カタログになってしまったらつまらない。
もちろん、僕は建物や仏教装飾に感動もしましたが、一番印象に残っていることは、祈りそのものです。ブータンのお祈りの方法は、頭の上で手を合わせ、その次に口の前で手を合わせます、そして胸の前で手を合わせ、最後にひれ伏して額を地面につけます。この動作を普通3度繰り返します。
チベット仏教で見られる五体投地のお祈りに似ていますし、五体投地をしている人も見かけました。
はじめ、見よう見まねでお祈りしていたのですが、だんだんと慣れてくるとお祈りの力のようなものを感じられるようになってきます。
とくに、額を地面につける動作がとても大事に思えます。
日常生活で、私はついつい頭でっかちに物事を考えてしまいます。頭でっかちに考えるということは、物事を俯瞰的にとらえようとする行為だと思います。それは、自分が高みから見下ろすように、言いかえると神の視点に立とうとすることと言えるかもしれません。
お祈りをして、額を地面につけると、地面から物事を見る視点にすっと戻されます。
俯瞰的にものごとをとらえることが悪いことだとは思わないのですが、地面からの視点、謙虚な気持ちがなくなると片手落ちになってしまいます。
私の場合、あまり具体的なことをお祈りするのではなく、ただただ謙虚にありがとうと感謝の気持ちでお祈りすると心の波がおだやかになって落ち着きます。
一日に何度もお祈りする機会はなかなかないので、何度もお祈りする経験は貴重でした。
特定の宗教を持たないのにお祈りなんて出来るのかな?と自分でも思うのですが、純粋に祈りの行為を行うと、気持ちは必ず静まるように思います。
もちろん、ブータンの人の信仰心を尊重することは非常に大切です。
バングラに行った時にはムスリムの人々の信仰心を尊重することの大切さを感じました。
異なる宗教といえど、根底には同じものが流れているように思います。
何年も行ってないお墓参り。私は日本で祈りの行為をぜんぜん行っていませんでした。
今は、すこしかもしれませんが祈りの大切さを感じるようになってきました。
この旅で、僕にとってのもっとも大きな収穫が「祈り」だったのです。
感動する
自然の美しさ
人間の美しさ
「祈り」のこころから感動が生まれる
まだまだたくさんの思い出がありますが、ブータン紀行はとりあえず今回で終わります。
ブータンでは様々な人にお世話になりました。ありがとう。
すべての起点はMaakoからでした、ありがとう。
また行きたいな。
Takao
いくつも訪れたゾン、ラカン。
そして、峠を超えるたびに見られる5色の旗。
ブータンでは信仰が生きています。
残念ながら、ゾンやラカンの中は写真撮影ができませんので、今回は文章と写真はあまり関係ありません。
撮影できないところがある。これはこれですごくいいと思います。白日のもとにさらすもの、そうでないもの。世界が全部カタログになってしまったらつまらない。
もちろん、僕は建物や仏教装飾に感動もしましたが、一番印象に残っていることは、祈りそのものです。ブータンのお祈りの方法は、頭の上で手を合わせ、その次に口の前で手を合わせます、そして胸の前で手を合わせ、最後にひれ伏して額を地面につけます。この動作を普通3度繰り返します。
チベット仏教で見られる五体投地のお祈りに似ていますし、五体投地をしている人も見かけました。
はじめ、見よう見まねでお祈りしていたのですが、だんだんと慣れてくるとお祈りの力のようなものを感じられるようになってきます。
とくに、額を地面につける動作がとても大事に思えます。
日常生活で、私はついつい頭でっかちに物事を考えてしまいます。頭でっかちに考えるということは、物事を俯瞰的にとらえようとする行為だと思います。それは、自分が高みから見下ろすように、言いかえると神の視点に立とうとすることと言えるかもしれません。
お祈りをして、額を地面につけると、地面から物事を見る視点にすっと戻されます。
俯瞰的にものごとをとらえることが悪いことだとは思わないのですが、地面からの視点、謙虚な気持ちがなくなると片手落ちになってしまいます。
私の場合、あまり具体的なことをお祈りするのではなく、ただただ謙虚にありがとうと感謝の気持ちでお祈りすると心の波がおだやかになって落ち着きます。
一日に何度もお祈りする機会はなかなかないので、何度もお祈りする経験は貴重でした。
特定の宗教を持たないのにお祈りなんて出来るのかな?と自分でも思うのですが、純粋に祈りの行為を行うと、気持ちは必ず静まるように思います。
もちろん、ブータンの人の信仰心を尊重することは非常に大切です。
バングラに行った時にはムスリムの人々の信仰心を尊重することの大切さを感じました。
異なる宗教といえど、根底には同じものが流れているように思います。
何年も行ってないお墓参り。私は日本で祈りの行為をぜんぜん行っていませんでした。
今は、すこしかもしれませんが祈りの大切さを感じるようになってきました。
この旅で、僕にとってのもっとも大きな収穫が「祈り」だったのです。
感動する
自然の美しさ
人間の美しさ
「祈り」のこころから感動が生まれる
まだまだたくさんの思い出がありますが、ブータン紀行はとりあえず今回で終わります。
ブータンでは様々な人にお世話になりました。ありがとう。
すべての起点はMaakoからでした、ありがとう。
また行きたいな。
Takao
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