毎日起こっていること



とても当たり前のことだけど、毎日無数の命が旅立ち、無数の命が新たに生まれ落ちる。
世界では嘆きや喜び、殺しや奇跡の救いが同時進行している。
世界はどんどん小さくなっているから、僕らは地球の反対側で起こっていることをほとんど時間差をおかずに知ることができるようになった。
そこに行くこともずいぶんと簡単になった。

けれど、僕が持っている時間はとても限られていて、出来ることにも限りがある。
無数のことを同時に出来るわけもないし、すべての人と会うことも不可能だ。
それぞれの人々は日常の限られた自分の世界の中で生きている。

自分の目で感じ、自分の手で触れる世界。
どれだけ文明が進んでもそのこと自体は変わらないだろう。
自分が生きている世界では自分が主人公だ。
そこで出会うものすべてには配役があって、それはかけがえのない自分の世界の一部だ。
もちろん、世界は命の数だけある。
それぞれが、自分の世界の中でお互いに配役になりあいながらこの世界をかたちづくっている。

無数の世界の中で偶然にも出会い、今という時間を共有していることは奇跡だ。
たとえすれ違うだけであっても、遠くの風景になっていても、そこには無数の主人公が存在している。
もちろん、人だけが世界を持っているのではない。
すべての生きとし生けるものは世界を持っているだろう。
それぞれの世界が偶然にも、いや必然に、今、僕の目の前に奇跡的に広がっている。
そのことにふと気づいて僕はとても感動した。

出会いは世界と世界がふれあうとき。
たとえ目があっただけでもそこに世界と世界がふれあうのを感じる。

僕は独りで木陰に座って目の前に広がる世界に感動していた。
僕の顔には自然に笑みがこぼれていた。
向こうから歩いてくる、まったく見知らぬ、文化も違う人と目があった。
彼はにっこり微笑みながら過ぎ去った。

その時たしかに僕は彼の世界にそっと触れた。
彼の人生、家族、日常、僕には詳しくは想像できないけれど、たしかに彼と世界を共有していた。

おそらく僕はこの人生で彼と再び会うことはないだろう。
すでに彼の顔だってぼんやりとしか思い出せない。
けれど、僕の脳裏には彼の微笑みはしっかりと残った。

僕は僕の世界をあたたかいものにしていきたい。
どうにもならないこともあるかもしれないけれど、少なくとも僕の世界では僕は主人公だ。
すくなくとも微笑むことなら出来るだろう。


Takao









3 コメント :

  1. また会えますよ。

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  2. コメントありがとうございます。
    そうですね、また会えるかもしれませんね。
    すでに今日だってすれ違ってるかもしれませんし。
    夜書いた文章は今読み返すとすこし恥ずかしいですね。
    あまり誰とも話してなかったので、すごくささいなことに感動したのかもしれないです。

    できればニックネームでもよいので、お名前入れていただけると幸いです。
    わざわざコメントいただいてる方にお願いするのは恐縮ですが。
    よろしくお願いします。

    返信削除
  3. シリウス星人2014/08/06 21:42

    はい。会えますよ。今世ダメでも来世、そのまた来世と…きっと、みんな今あった人たちは、前世も会ってるんですよ。だから、会った瞬間、気の許せる、なんだか懐かしい気持ちとかになるというかね…最近、自分の周りで起きてることなんですけどね。
    感動はいいですよ。私はいつも感動を探してます。半年前にクレープを大阪で食べたとき、ものすごく感動したんです。それ以来感動を探してます。笑。

    人との出会いもまた感動です。

    返信削除

 

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