とりとめない

 ご飯を食べて
ストーブにあたって
丸くなって寝る
手で光を遮ると落ち着くんだね

世界で起きてることをかなり追いかけて調べたが。
わたしの日常は変わらず過ぎていく。
この日常こそが幸せか。

年が明けてから、 死と接する機会が多い。
身近な死も、遠くの死も。

生と死は非対称。
わたしたちは生にいる。
俯瞰して両方を捉えたと思ってもそれは錯覚にすぎない。
誰もが逃れることはできないのに、死から語られる言葉はない。
このどうしようもない事実と向き合うのは信仰を通じてか。
またはもがき苦しみながら思考し続けるのか。
いや、日常に埋もれる中でそんなことは関係ないのかもしれない。

今、何を欲するか?

何のために?

意味はあるの?

混乱と混沌。

一つ言えるのは、何かがつきあげてきて、それはわたしに語らせる。
言葉というかたちか?そうでなくともよい。
ただただ、表現したい。
生きていることは表現したいということなのか。

たぶん、そうだろうと わたしは思う。


Takao

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